東京高等裁判所 昭和58年(ネ)2602号 判決 1986年9月25日
控訴人
山田一郎
右訴訟代理人弁護士
鹿野琢見
同
成海和正
同
鈴木きほ
被控訴人
甲野花子
同
乙山春子
同
甲野夏男
同
丙川秋子
右被控訴人ら四名訴訟代理人弁護士
吉田太郎
同
上野宏
主文
本件控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
原判決を取り消す。
被控訴人らは控訴人に対し、原判決別紙物件目録(以下、「目録」という。)記載の浮世絵合計六巻七二図(以下、「本件浮世絵」という。)を引渡せ。
前項の強制執行が不能のときは、被控訴人らは各自控訴人に対し、金一億円及びこれに対する昭和五八年五月一七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人らの負担とする。
この判決は仮に執行することができる。
二 被控訴人ら
本件控訴を棄却する。
第二 当事者の主張
(本案前の主張と答弁)
一 本案前の主張
控訴人が引渡しを求める本件浮世絵のうち、目録五の浮世絵を除いて、目録の記載ではいずれも特定が不充分である。すなわち、落款の有無も不明であり、その執筆の年代も明らかでなく、その図柄、構図(それによつて浮世絵の価値は異なる。)、画面の色付け、サイズ等が目録には記載されていないから、引渡しを求める対象物として特定されているとはいえない。よつて本件浮世絵の引渡しを求める訴えは却下を免れない。
二 本案前の主張に対する答弁
本件浮世絵は、目録の記載から明らかなとおり、いずれも、その作者、構図、表装、生地等によつて充分に特定されている。
(寄託契約に基づく請求)
一 請求原因
1 控訴人は、古美術商を営むものであるが、昭和四七年七月二六日、訴外甲野太郎(以下、「太郎」という。)との間で、返還時期を定めることなく、同人に本件浮世絵の保管を託すことを合意し、これを引渡した。
2 太郎は、昭和五一年一二月二二日死亡し、妻である被控訴人甲野花子(以下、「被控訴人花子」という。)、子である被控訴人乙山春子(以下、「被控訴人春子」という。)、同甲野夏男及び同丙川秋子が、相続により太郎の権利義務を承継した。
3 控訴人は被控訴人らに対し、本件訴状をもつて本件浮世絵の返還を請求し、右訴状は昭和五四年五月二二日被控訴人らにそれぞれ到達した。
4 第一審口頭弁論終結時(昭和五八年五月一六日)の本件浮世絵の価額は金二億円以上である。
よつて、控訴人は被控訴人らに対し、寄託契約の終了に基づき本件浮世絵の引渡しを求めるとともに、右引渡しの強制執行が不能の場合には代償請求として、被控訴人ら各自に対し、本件浮世絵の価額の一部である金一億円及びこれに対する昭和五八年五月一七日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実のうち、控訴人が古美術商を営むことは認めるが、その余は否認する。仮に本件浮世絵が太郎に引渡されたとしても、それは贈与されたものである。
2 同2の事実は認める。
3 同3の事実は認める。
4 同4の事実は否認する。控訴人の主張する本件浮世絵は、本案前の主張でも述べたとおり、特定が不充分であつて、その価額を算定するには不可欠の、落款の有無、その執筆の年代、保存の良否、画面の大きさ等は勿論のこと、目録五以外のものについては、その構図さえ明らかでない。そのようなものの価額の算定は不可能である。そのうえ控訴人自身認めているように、昭和四七年七月一五日本件浮世絵六巻(五点)を含む一一巻全部を、控訴人は金三〇〇〇万円で入手したのであるから、本件浮世絵だけで金二億円もする筈がない。それに、そもそも本件浮世絵は、わいせつ図画であるから、正常な取引価格というものは認められない。
三 抗弁
1 本件浮世絵は、いずれも男女の交接する姿を極彩色等で描いたものである。これを客観的にみた場合には、その全体の支配的効果が、当代の社会通念上、普通一般人の性欲を著しく刺激興奮させ、性的羞恥心を害するものと評価せざるを得ないから、わいせつ物である。右わいせつ性の判断は、そのものの芸術性とは無関係になされるべきであり、本件浮世絵が、その専門家達から芸術性の高いものとの評価を得ていても、それだからわいせつ性がないとはいえない。
このようなわいせつ図画を寄託する契約は、公序良俗に反し、民法九〇条により無効というべきである。
2(一) 本件浮世絵の寄託は太郎との間の売買契約締結を目的としていた。
(二) 昭和四七年七月六日、太郎は、大蔵大臣であつたが、控訴人の依頼により、訴外株式会社小山遊園地(以下、「小山遊園地」という。)がその設備資金として金八億円の資を受けるについて、金融機関に斡旋をすることになり、右当日関係者の目前で電話により、訴外株式会社足利銀行に働きかけた結果、金六億円は融資できるとの返答を得た。
(三) 控訴人は、小山遊園地との間に、前記融資が実現したときには、小山遊園地が太郎に対し、右斡旋行為に対する謝礼として金五〇〇〇万円を支払うとの約束を取付けた。そして太郎の承諾のもとに、融資が実現した場合の謝礼金は直接控訴人が受領し、本件浮世絵の売買代金に充てることになつていた。
してみると、本件浮世絵の寄託は、結局賄賂として収受する金員を、その代金に充てる目的で合意されたものであり、公序良俗に違反し、無効である。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1の事実は否認し、その主張は争う。本件浮世絵は、これを実際に見分した専門家らから芸術品として極めて高い評価を受けている。その作者はいずれも歴史上著名な超一流の浮世絵作家である。本件浮世絵は、その高い芸術性により、わいせつな構図や描写からの性的刺激ないし印象は昇華、克服されているのであり、わいせつ図画ではない。
2(一) 同2(一)の事実は認める。
(二) 同2(二)の事実は認める。
(三) 同2(三)の事実は否認する。
(所有権に基づく請求)
一 請求原因
1 本件浮世絵は訴外太田清蔵が所有していた。
2(一) 控訴人は、右太田から、昭和四七年七月一五日、本件浮世絵を他の浮世絵五点とともに代金三〇〇〇万円で買受けた。
(二) 仮に本件浮世絵がわいせつ図画であつて、右売買が無効であるとしても、控訴人はその引渡しを受けた。
仮に本件浮世絵がわいせつ図画であるとの前提に立てば、右引渡しは、民法七〇八条の不法原因給付ということになるから、右太田は、本件浮世絵の返還を求めることができず、その結果控訴人は反射的にその所有権を取得した。
3 被控訴人らは、本件浮世絵を占有している。右占有は、控訴人が昭和四七年七月二六日本件浮世絵を太郎に引渡し、同人が占有していたところ、前記相続により被控訴人らがこれを承継したものである。
4 本件浮世絵の前記第一審口頭弁論終結時(昭和五八年五月一六日)の価額は二億円以上である。
よつて、控訴人は被控訴人らに対し、所有権に基づき本件浮世絵の引渡しを求めるとともに、右引渡しの強制執行が不能の場合には、代償請求として、被控訴人ら各自に対し、金一億円及びこれに対する昭和五八年五月一七日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認容
1 請求原因1の事実は認める。
2(一) 同2(一)の事実は認める。
(二) 同2(二)の事実のうち、控訴人が本件浮世絵の引渡しを受けたことは認める。
3 同3の事実は否認する。
4 同4の事実は否認する。なお価額についての主張は前記(寄託契約に基づく請求の原因―以下「寄託・原因」のように略記する―に対する認否4)のとおりである。
三 抗弁
1 本件浮世絵の売買による所有権取得(請求原因2(一))に対する抗弁
本件浮世絵は、前記(寄託契約に基づく請求の抗弁1・以下「寄託・抗弁1」のように略記する。)のとおりわいせつ図画である。したがつてその売買は公序良俗に違反し無効である。
2 不法原因給付による所有権取得(請求原因2(二))に対する抗弁
控訴人は、古美術商であり、本件浮世絵を買受けたのは、その販売が目的であつたから、不法の原因が受益者についてのみ存する場合である。したがつて民法七〇八条但書により、訴外太田清蔵は控訴人に対し、その返還を求めることができるから、右太田は、本件浮世絵の所有権を失うことはない。
3 所有権に基づく引渡請求に対する抗弁
(一)(1) 控訴人は太郎に対し、昭和四七年七月一六日ころ本件浮世絵を贈与した。
(2) 本件浮世絵の贈与は、前記(寄託・抗弁2(二)、(三))のとおり太郎が大蔵大臣としてした融資あつせんへの謝礼であり、賄賂の供与に当る。
また、本件浮世絵は、前記(寄託・抗弁1)のとおり、わいせつ図画である。
(3) 太郎は、昭和四七年七月、控訴人から右贈与契約に基づき本件浮世絵の引渡しを受けた。
したがつて、右引渡しは民法七〇八条の不法原因給付であり、控訴人はその返還を求めることはできない。
(二)(1) 控訴人は、昭和四七年七月、太郎との間で返還時期を定めないで、同人に本件浮世絵の保管を託した。
(2) 被控訴人らは、前記(寄託・原因2)のとおり、相続により太郎の権利義務を承継した。
(3) 控訴人と太郎との間の本件浮世絵の寄託は、前記(寄託・抗弁2)のとおり、太郎との間の売買契約の締結を目的とするものであり、賄賂として収受した金員をその代金に充てるために合意されたものである。
したがつて、右寄託は民法七〇八条の不法原因給付であり、控訴人はその返還を求めることができない。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1は否認する。
2 同2の事実のうち控訴人が古美術商であることは認めるが、その余は否認する。
3(一) 同3の(一)(1)、(2)の事実は否認する。同3の(一)(3)の事実のうち、本件浮世絵が、その主張の時期に太郎に引渡されたことは認めるが、その余は否認する。
(二) 同3の(二)(1)、(2)の事実は認める。同3の(二)(3)の事実のうち、本件浮世絵の寄託は太郎との間の売買契約の締結を目的としていたことは認め、その余は否認する。
五 再抗弁
1 抗弁3の(一)(不法原因給付)に対する再抗弁
(一) 控訴人と太郎との間の贈与契約は、前記(寄託・抗弁2の(二))の融資の不成功を解除条件とするものであつた。
(二) 右融資斡旋はその後間もなく不成功に終つた。
2 抗弁3の(一)(不法原因給付)に対する再抗弁
(一) 本件浮世絵は、その熱狂的な収集家であつた太郎の強い求めに応じて引渡されたものである。しかも太郎と控訴人との間には、通常の顧客との間よりはるかに緊密な信頼関係があり、右信頼関係に基づいて、本件浮世絵は太郎に託された。したがつて本件浮世絵の返還が拒否されるなど、二人の間では考えられないことであつた。
(二) 本件浮世絵がわいせつ性を帯びているとしても、浮世絵の真の愛好家で良識ある太郎として、例えばこれを一般公開するなど、不用意な行動に出ることは有り得なかつた。そうした点でも控訴人との間には強い信頼関係があつた。
(三) 現在に至つて被控訴人らが本件浮世絵の返還を拒否するのは、前記信頼関係を裏切り、著しく法的正義に悖るものである。
よつて、本件浮世絵の引渡しが不法原因給付に当るとしても、本件の場合、不法の原因に関しては被控訴人側にその非難可能性が大であり、民法七〇八条但書に当るというべきである。
六 再抗弁に対する認否
1 再抗弁1の事実のうち、(一)は否認し、(二)は認める。
2 同2は否認もしくは争う。
第三 証拠関係<省略>
理由
一本案前の主張について
被控訴人らは目録記載の程度では引渡しを求める物件の特定として不充分であると主張する。しかし、目録では、それぞれの作者、彩色、構図、絹本であること、版画ではなく作者の肉筆であることなどが記載され、引渡しを求める物件の特定という点からは、いずれも欠けるところはないというべきであるから、右主張は採用できない。
二次に寄託契約に基づく請求について、まずその請求原因について検討する。
1 請求原因1の事実のうち、控訴人が古美術商を営むことは当事者間に争いがない。
2 そこで本件浮世絵が太郎に引渡されたかどうかについて判断する。当裁判所も昭和四七年七月末日ころまでには、本件浮世絵全部が控訴人から太郎に引渡されたものと認定するが、その理由は次のとおり付加・訂正・削除するほかは、原判決理由説示中、原判決一三枚目裏三行目冒頭から同一五枚目表九行目末尾までの記載と同一であるから、これを引用する。
(一) 原判決一三枚目裏八行目末尾から同九行目にかけての「原告本人尋問(第一、二回)の結果」を「原審(第一、二回)及び当審における控訴人本人尋問の結果」と改め、その次に「に右争いのない事実」を加える。
(二) 原判決一五枚目表九行目「認めるのが相当である。」の次に「他に以上の認定を左右するに足りる証拠はない。」を加える。
3 控訴人は、本件浮世絵を太郎に引渡したのは、寄託の合意に基づくものであると主張し、一方被控訴人らは右は贈与に基づくものと主張してこれを争うので、以下に検討する。
(一) まず控訴人と太郎との関係について判断する。
<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。
太郎は、自由民主党の政調会長、大蔵大臣などを歴任した政治家であり、昭和四七年七月六日当時も大蔵大臣の地位にあつたが、美術愛好家で、とりわけ浮世絵については愛着が深く、多くの作品を収集していた。なお、浮世絵の中でも特に男女交接の場面を描いたいわゆる「わ印」についての熱心な収集家であつた。控訴人は、古美術商として太郎と知り合つたが、特に浮世絵については関心が共通で、優れた作品を太郎のコレクションに加えたいと思うようになり、更には互いにしばしば往来するような仲となつた。控訴人にとつて、太郎は単に顧客というより政財界の要人の紹介者でもあり、取引だけでなくそれらの人との交際そのものも一つの生き甲斐となつており、太郎から金銭を代金として受け取るというような考えは強くなかつた。また太郎はかねてから自分の収集品を中心として浮世絵美術館を設立したいとの願望を持つていたが、控訴人はそれについても共感し、その協力者でもあつた。
その後前記のとおり太郎は死亡したが、その際にも控訴人は身近にいて、遺体を運ぶことも直接手伝い、葬儀の日は勿論、その後も太郎の自宅をしばしば訪ね、遺族を慰めたりしていた。もつとも被控訴人らは、太郎が「わ印」の浮世絵を収集することに反対であり、同人も普段はそのことを被控訴人らに話さず、また控訴人も、太郎と親しく往来していたにしては、その家人と接する機会は少なかつた。
原審及び当審における被控訴人花子本人尋問の結果中右認定に反する部分は、前掲各証拠及び右認定に照らして採用できず、他にこれを左右するに足りる証拠はない。
(二) 進んで本件浮世絵引渡しの趣旨について判断する。
<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。
(1) 小山遊園地は、控訴人を介して、昭和四七年七月六日、当時大蔵大臣であつた太郎に対し、その設備資金八億円の融資の斡旋を依頼し、太郎は、右依頼を受けて、右当日関係者の目前で電話により訴外株式会社足利銀行に働きかけ、六億円の融資については可能であるとの返事を得た(この事実は、当事者間に争いがない。)。そこで、その後控訴人は、小山遊園地との間で、融資が実現した場合太郎に対する謝礼として、同遊園地が金五〇〇〇万円を支払うとの約束を交わした。そして右金員は、控訴人が太郎に代つて受領することに取り決め、太郎もこのような謝礼の出ることを了解していた(なお、当審証人林健太郎の証言によると、「小山遊園地」はその当時の正式の法人の名称ではなく、思川観光株式会社が右当事者であることが窺われるが、以下も便宜「小山遊園地」という。)。
(2) 控訴人は、訴外太田清蔵から買受けた本件浮世絵を含む一一巻(以上の事実は当事者間に争いがない。)を、前記のとおり、太郎に引渡したが、それは、太郎とのこれまでの関係、その浮世絵収集にかける熱意、本件浮世絵の価値、外国流出を防ぐなど色々の点からみて、同人がこれを引取り、所有するにもつとも応しいと考えたからであつた。なお目録一ないし四の浮世絵については昭和四七年七月二六日、目録五の浮世絵については同年七月末日ごろまでに、それぞれ最終的に太郎に引渡された。
(3) 控訴人は、本件浮世絵を太郎に渡す代償として、太郎に代つて受領する予定の前記五〇〇〇万円をそのまま自己のものとして取得することを考え、太郎もそれを了解していた。控訴人としても、融資斡旋の謝礼として、太郎に金五〇〇〇万円が、小山遊園地の関係者から、直接支払われたのでは将来問題となることを恐れ、右金員は控訴人が受領するとともに、売買形式を採つて本件浮世絵を太郎に渡すことにした。
(4) しかし、前記融資は結局実現せず、小山遊園地は所有する土地を売却して急場をしのいだ。したがつて金五〇〇〇万円の報酬の話しも立消えとなつたが、本件浮世絵は返還されず、また控訴人もそれを求めず、そのまま太郎の手許に置かれた。太郎は、その後画文堂の鈴木實やその他の者に、本件浮世絵を自分の収集物として見せていた。
(5) 控訴人は、前記五〇〇〇万円を取得することはできなかつたものの、そのうち、太郎からなんらかの形で本件浮世絵の代償が得られると考えていたが、太郎はそれを果さないまま昭和五一年一二月二二日死亡した(太郎の死亡とその年月日は、当事者間に争いがない。)。
(6) 控訴人は、これまでの太郎との関係からして、同人が収集した美術品の処分を任せられれば、本件浮世絵の代償を十分に得られると考え、被控訴人らに本件浮世絵について話すことをせずに、太郎の四九日のころから、右収集品を控訴人を通じて処分するよう勧めたが、拒絶された。
(7) 控訴人は、昭和五二年一〇月一八日ころ、すなわち太郎の死亡後一〇か月以上を、本件浮世絵が太郎に引渡されてからでは五年以上を経過してから、被控訴人花子に対し初めて書面(乙第一号証の一、二)をもつて本件浮世絵の返還を求めた。
以上(一)、(二)に認定したところによると、本件浮世絵は太郎に対し単純に寄託されたのではなく、控訴人から太郎に対し、小山遊園地に対する融資斡旋の謝礼として本件浮世絵を贈与する反面、その代償として前記五〇〇〇万円を控訴人が最終的に取得してよいものとする合意が成立し、これに基づいて、かつ、控訴人としては政界の実力者であつた太郎と親密な関係を持つていたことから、本件浮世絵の引渡しに伴う何らかの利益を期待しながら、引渡されたものと認めるのが相当である。そして右合意は、前記のとおり、本件の各浮世絵が最終的に引渡されたころ、すなわち目録一ないし四の浮世絵については昭和四七年七月二六日ころ、同五の浮世絵については同年七月末ころ、それぞれ成立したものと認めることができる。
もつとも、前記甲第一号証の四(日記)によると、目録一ないし四の浮世絵を太郎に引渡した事実を「一応納まる」と表現し、また原審証人鈴木壽一、当審証人小野塚英夫、同内村修一の各証言、原審(第一、二回)及び当審における控訴人本人の尋問の結果などでは、美術品の取引では顧客にこれを長期間預け、顧客がそれを気に入つた時点で、すなわち買いたいと考えたとき売買を成立させるという形のものもあり、長期間美術品が顧客の許に預けつぱなしになつていても格別異とするに足りず、本件の取引もその一例に過ぎないなどと述べている部分もある。しかし、前認定(前記二の2及び二3の(一))のとおり、浮世絵について造詣の深い太郎は、二回にわたり本件浮世絵他合計一一巻を鑑賞したうえで、いつたん全部を持ち帰り、その翌日には目録一ないし四のみを手許に留めて、それ以外を控訴人に返却したものの、目録五の浮世絵については再度求めてその引渡しを受けており、このことと前記二の2、3に認定した事実を併せ考えると、本件浮世絵について太郎が鑑賞検討を重ねたうえ、買受けるかどうかを改めて決定するという段取りになつていたのではないことが認められる。すなわち売買の申込みの誘引として本件浮世絵が太郎に引渡されたのではないと認めることができる。
更に控訴人は、古美術商であつて、本件浮世絵はその商品であるとともに金三〇〇〇万円を支払つて手に入れた浮世絵の一部であることはさきに述べたとおりであるが、右認定によると、本件浮世絵は、一種の負担付で贈与されたものであるから、右事由は前記認定の妨げとはならない。
また原審(第一回)及び当審において控訴人は、被控訴人春子の夫である画家の乙山博英と太郎の死後二か月後位に「紫」で会い、本件浮世絵の返還を求めた旨述べるが、そのとおりとしても前記認定を動かすに足りる事情とは認められない。
次に当審証人林健太郎の証言中には、太郎の融資斡旋の実体、報酬の約束等について前認定に反する部分があるが、右証言は、右証人の現在の立場、一〇年以上の歳月が経過してからの供述であることを考えると、その信用性に疑問が生ずるのみならず、右証言の内容自体もしくは前掲各証拠と対比して措信することができない。
そして<証拠>には、前記認定に反する部分があるが、前掲各証拠及び前記認定と対比していずれも措信できず、他にこれを左右するに足りる証拠はない。
4 以上のとおりであつて、寄託契約に基づいて本件浮世絵の返還を求める請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。
三次に所有権に基づく請求について判断する。
1 請求原因1(本件浮世絵をもと太田が所有していたこと)、同2(一)(控訴人が本件浮世絵を買受けたこと)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。
2 そこで、抗弁3の(一)について判断する。
(一) 前認定(二3の(二))のとおり、本件浮世絵は太郎に対し負担付きではあるが贈与されたものであるから、抗弁3の(一)(1)(贈与)の事実は認められる。
(二)(1) 本件浮世絵の引渡しが賄賂の収受に当るかどうか(抗弁3の(一)(2))について判断する。
前認定(二3の(二))の事実によると、本件浮世絵は太郎に負担付で贈与されたが、その主たる負担は、太郎の小山遊園地への融資斡旋に対する謝礼金五〇〇〇万円を右贈与の代償として控訴人に受領させ、自己のものとして取得させることである。
ところで大蔵大臣は、公共性があり国民経済の発展と密接な関わりを持つ銀行業務について、広範な監督権限を有し、各銀行に対し通常の業務報告等を求めるのは当然として、必要があるときは個々の業務や財産の管理について報告、資料の提出を求めることができ、場合により直接立入検査等もすることができる。そしてその結果によつては業務の停止、免許の取り消しをする権限も有している(銀行法・昭和二・三・三〇法律第二一号・二〇条ないし二四条参照)。そうすると大蔵大臣が銀行に対し、特定の者に融資をするよう斡旋行為をすることは、その職務と密接な関わりがあることは明らかである。
ところで太郎が昭和四七年七月七日(前記斡旋行為の翌日)大蔵大臣を辞任したことは歴史的事実として当裁判所に明らかである。しかし前認定の事実(二3の(二))及び前記乙第一号証の一ならびに弁論の全趣旨によると、斡旋行為が成功し、融資が実現した場合には相当額の報酬が支払われるであろうことを、黙示的にしろ、右七月六日の当日に関係者が了承していたものと推認することができ、このような了解のもとに本件浮世絵は、太郎が直接に右報酬を受取ることをしない代償として、控訴人から太郎に引渡されたものである。そして控訴人自身右金五〇〇〇万円の金員の受領につきその違法性を認識し、一方太郎も、前記斡旋の報酬が控訴人に支払われることになつていたが、その代償として本件浮世絵を受領したことを認識していたのであるから、本件浮世絵を前記贈与契約に基づいて太郎に引渡すことには強い不法性があるものといわなければならない。
(2) 更に本件浮世絵のわいせつ性(抗弁3の(一)(2))について検討する。
<証拠>ならびに弁論の全趣旨によると、本件浮世絵は、他の「わ印」の浮世絵と同様に、いずれも男女が交接している姿態を様々の構図で描いたものであるうえ、その局部を誇張して表現し、極彩色の肉筆で描かれたものと推認されるが、性器及び性的行動・男女交接の場面そのものが具体的に描かれていて、それが絵画の性質上直接人間の感覚あるいは官能にうつたえるものであることは明らかである。もつとも浮世絵自体写実的な手法によるものとはいえないから、現在での一般普通人の性欲を著しく刺激興奮させるか、性的羞恥心を害するかどうかの点では、或程度わいせつ性の評価を減殺するものといえようが、右に判示したような本件浮世絵の内容から見れば、特別の事情がない限り、本件浮世絵はわいせつ図画に該当するものといわざるを得ない。現に<証拠>によると、画文堂が目録五の浮世絵をカラー写真による絵巻物として出版する際には、局部を隠して撮影したものを出版しているし、原審における控訴人本人尋問(第一回)の結果によると、控訴人自身、本件浮世絵は一般人から見ればわいせつ図画との評価を受けるものと考えていたこと、これを所蔵していた太田清蔵に対し、「本件浮世絵は子孫に残すべきものではない。」旨述べたことが認められる。
控訴人は、本件浮世絵の作者はいずれも超一流との評価を受けている作家でおり、個々の浮世絵も、いずれもその高い芸術性により、性的刺激や印象は昇華克服されていると主張するが、しかし、成立に争いのない甲第二〇号証、原審(第一回)及び当審における控訴人本人尋問の結果その他本件全証拠をもつてしても、右事実やその他前記特別の事情を認めるに至らない。
(三) 太郎が控訴人から、昭和四七年七月二六日と同月末日ころまでに贈与契約に基づき本件浮世絵の引渡しを受けたこと(抗弁3の(一)(3))は、前認定(二の2、二3の(二))のとおりである。
そして右贈与は、右(一)に判示したとおりの強い不法性を有するものであり、かつ、本件浮世絵は、右(二)に判示したとおり、わいせつ図画というべきものである。したがつて、右贈与契約に基づく本件浮世絵の引渡しは、民法七〇八条本文にいう不法原因給付となると解するのが相当である。抗弁3の(一)は理由がある。
なお、わいせつ図画であつても、芸術的なあるいは絵画史的な意味でも高い評価が与えられるものについて、たとえばもつぱら学術的な調査研究の対象として取引されるなど特別の場合には、その給付が不法原因性を帯びない場合もあり得よう。しかしながら、本件浮世絵が前記甲第二〇号証(鑑定書)がいうように、前記のような高い評価が与えられるべきものとしても、前認定(二3の(二)(1))のとおりの事情を考慮すると、その贈与が不法原因給付に当らない特別の場合に該当するとは認められない。そして右判断は、太郎の浮世絵についての深い造詣、長年にわたる収集家としての実績その他の事情を併せ考えても、変らないというべきである。
3(一) 続いて、抗弁3の(一)(不法原因給付)に対する再抗弁について判断することにするが、そのうち、まず、再抗弁1(解除条件)について検討する。いつたん抗弁3の(一)(1)の贈与が、昭和四七年七月二六日ころと同月末日ころに成立し、右贈与に基づく本件浮世絵の引渡しがあつた以上、その段階で、受贈者である太郎に終局的な利益を与える給付がされたものというべきであり、既に不法原因給付はその時点において、いわば完成していると考えるのが相当である。したがつて右贈与が、その後解除条件が成就して無効に帰したとしても、そのために、贈与者が、公権力の助力を得て本件浮世絵の返還を請求することができるようになるわけではない。再抗弁1は、主張自体失当であるといわなければならない。
(二) そこで、抗弁3(不法原因給付)に対する再抗弁2(民法七〇八条但書の主張)について判断する。
太郎と控訴人との間に、古美術商と顧客という以上の信頼関係があり、本件浮世絵が太郎に贈与されるに至つたのは、右信頼関係もその大きな要因であつたことはさきに認定(二3の(一)、(二))したとおりであり、本件浮世絵を収集品に加えたいとの太郎の願望が強かつたであろうことも、また太郎自身が本件浮世絵を単に春画の一種として扱うようなことはなかつたであろうことも、いずれも前認定の事実(二3の(一))から推認するに難しくない。
しかしながら、そもそも本件浮世絵を入手して、これを太郎に見せたのは控訴人であるばかりか、小山遊園地からの融資の斡旋依頼を、違法を承知で太郎に取り次ぎ、その報酬の支払いについての約束を、矢張り違法であることを承知のうえで、小山遊園地から取付けたのもほかならぬ控訴人自身であるうえ、本件浮世絵の贈与の代償として、右報酬を直接自分で受領しようと計画したのも控訴人であつたことも、前判示(二の2及び二3の(二))のとおりである。
してみれば、本件不法原因給付が実現した責任は、控訴人側により多く存するものといつても差支えなく、再抗弁2は理由がない。
4 以上のとおりであつて、本件浮世絵の所有権に基づいてその返還を求める請求は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がないことが明らかであつて、棄却を免れない。
四よつて控訴人の本訴請求は失当として棄却すべきであるが、これと結論を同じくする原判決は相当であるから、本件控訴をいずれも棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官伊藤滋夫 裁判官鈴木經夫 裁判官山崎宏征)